石垣完成間近、そして唐松のこと
石垣が、ほぼ完成しました。かなりの存在感です。圧倒されると言うべきかも知れません。
なぜ、日本の城は、石垣の上に築いたのか、分かった気がします。もちろん土台となる地盤を固めるためではあるのですが、外から攻めてくる敵に対する威圧ですね。そのことが、よくわかります。
もちろん、ここに誰かが攻めてくるわけではないのですし、そもそも城壁ほどの大きさもありませんが、こうやって先人たちは、自然にあるものをうまく使って、いろいろと工夫したわけで、大いに感動します。
ちなみに、この石垣の下には、掘り返した赤松の根っ子が詰め込まれています。腐ったら崩れてしまうのではないかと職人さんに話をしたら。土に埋まった根っ子、特に赤松は、空気が遮断されることで腐ることはなく、しっかりとした地盤を作るそうです。例えば、松本城の石垣の下は、沢山の赤松の杭を敷き詰めて地盤を固めているそうで、もう何百年も、こことはとは比べものにならない大きな石垣を支えているのだそうです。これもまた先人の知恵ですね。
ところで、この石垣の横に、先週紹介した石場建てで管理棟を建てるのですが、その柱や梁に使う唐松が、この写真です。
年輪を数えると70年ほどです。この唐松は、ここ8KUMOの森で切り出した材で、職人さんによれば、目の詰まったいい材だということでした。ご覧頂くと分かるのですが、中心部の赤いところが大きく、周囲の白いところが薄いのが、いい材だそうで、この唐松はまさにそんな断面です。これを製材して、使います。
この唐松は、森の東斜面に植えられていたのですが、東斜面の唐松から良い材はとれないのが一般的なのだそうです。それは、陽射しが良くて早く育ってしまうので、年輪の間隔が拡がり、引き締まった木にはならないからだそうです。しかし、この唐松は例外で、どうも、楢などの広葉樹との混栽林だったことで、競争が激しく、とてもゆっくりとしか成長できず、結果として、目が詰まったのだろうと言うことでした。
いやいや、勉強になりました。
この材木は、基本的に乾燥させずに使います。建物を建てて、そこで自然と乾燥させます。もちろん自然の木材ですから、当然乾燥して縮むわけですが、それを見越して組み上げてゆきます。一切、釘は使わずに材木を刻んで組み合わせることで構造を作ります。予め隙間を作り、そこにくさびを打って、乾燥してくるとそのくさびをさらに打ち込んで、固めてゆきます。そういう自然とのお付き合いをしながら、建物を育ててゆくわけです。
昔の神社や仏閣も同様の建築方法だそうで、建物が柔構造にになり、その方が長持ちして、石場建てと組み合わせることで、地震などの揺れにも強いのだということです。
ちなみに、木を伐採する時期も重要で、春先から夏の終わりにかけて伐採した材は使えないのだそうです。それは、木が成長しようと地面から大量に水分を吸い上げているため、木材の水分量が多く、カビが生え、曲がりやそりが出やすいからです。この唐松は、つい先日の1月半ばに伐採していますから、伐採のタイミングとしてもちょうどいい時期と言うことになります。
このあとは、いよいよ土台作りです。先週紹介したように、地面に穴を掘り、砕石を入れて突き固め、そこに石垣で使ったような大きな束石を置いてゆきます。その束石の上に柱を載せてゆく構法です。その数、88個になるとのこと。それもまた壮観でしょう。
8KUMOは、もともとが神社の杜ですから、伝統的な工法で建てたいという想いもあって、このようなやり方になりました。また、建材も輸入に頼らず、この森の木や八ヶ岳周辺の材木で地産地消を心がけています。それもまた8KUMOのこだわりです。
よろしければ、そんな建築風景も見に来てください。